初めまして!立体淡色アーテイストのKeriroです!🌝
https://keriro-art.com/elementary-school-student/
人間不信を拗らせ、荒れた思春期を過ごした中学時代。
常に感情を発散する様にストレスの吐け口として『絵』を描いていました。
そんな私は、『ずっと絵を描ける環境に行きたい』一心からT高校のデザイン科へ進学しました。
好きなことをひたすらに実践できるT高校での毎日は本当に楽しく、入学を機に昔のような純粋に絵を描く楽しさを思い出し、再び、のびのびと作品が作れるようになりました。
まさに高校3年間の思い出こそKeriro作品の土台が完成した瞬間でした。
目次
Keriro作品の土台を創った高校生の思い出
個性満点の友達や先生との出会い
個性豊かなデザイン科のクラスメイトや先生との出会いは、人間不信に陥ったちひろの暗黒中学生時代を吹き飛ばし、再び個性を包み隠すことなく表現することができるきっかけとなりました。
私の一風変わった作風を『変』ではなく『個性』として認めてくれた幅広い視野を持つ仲間がいる環境での日々は心地が良く、私らしく息ができるかけがえのない場所でした。
周りの目を気にせず、のびのびと作品が創れるようになっただけではなく、自身の性格も小学生時代のポジテイブな性格へ舞い戻ることができた奇跡の仲間との出会いです。感謝!!
また、デザインの基礎を教えてくれつつも常に私達の個性を尊重し、決して何事も『こうでなければならない!!!』と口にせずに見守って下さる先生方との出会いにも感謝の気持ちで一杯です。
立体作品との出会い
きっかけは高校生で初めて自分の身長を超えるキャンバスに絵を描いたこと。
以前はA4やポスターの画用紙サイズに絵を描いた事しかないちひろでしたが、デザイン科に入学して以来、課題や部活で自分の身体より大きいサイズのキャンパスに絵を描く機会が増えました。
大きなサイズに描く分、画材の使い方や全体のバランスを工夫する必要があり悪戦苦闘しましたが、昔から自由にのびのび描きすぎる私にとっては表現できる範囲が広がったように感じてワクワクが止まりませんでした。
しかし大きいサイズの作品を描き続ける内に、なんだか物足りないと感じるようになりました。
『もっとダイナミックに絵画を表現できないのか!?』と欲張りな私が顔を出したのです。
この絵画表現への貪欲さや、枠に囚われない表現方法を模索した結果こそ、立体作品を創り始めたきっかけとなりました!
高校生の立体的な絵は、現在のような粘土の使用はないものの、キャンパスから紙が飛び出ていたり、本型になっていたりと、枠に捉われない作品が多く、立体淡色絵画の基盤とも言えます。
ファッションの楽しさに目覚める
ファッションの楽しさに目覚めた高校生時代!!
中でもT高メインイベントである生徒主催のファションショーが、お洋服に興味を持つきっかけにもなりました。
自身が制作した衣装を着用してステージに立った貴重な経験は今でも忘れられず、『絵画』だけではなく『ファッション』でも個性を表現できる事に感動した瞬間です。
私が制作した衣装のテーマは『地層』
何層にも力強く積み重なる地層をテーマにチームで協力しながら制作しました。
重さ10kg程ありめちゃくちゃ重いですが、頑張って制作した分、愛着の半端ない1着です。
写真にどハマり!インスタ映え命!
高校生で景色や人物など思い出を残せる写真ににどハマりしてからというもの、本当に好きすぎるあまり、誕生日プレゼントに一眼レフを買ってもらいました。
写真に厚みがあり柔らかい色味を出してくれるオリンパスのカメラを持って放課後遊ぶことが大好きだったな〜!
この頃、『インスタ映え』が流行していた時代でありなにかにつけて『映え』を意識して遊んでいました。
特に、高校生でどハマりした『カフェ巡り』では、とにかく映えてなんぼ!な原色カフェを巡りながら心もお腹も満たされていました。当時は原色でインパクトが強いカフェ=映えでした。
現在は淡色=オシャレという好みに変化したのでびっくりですよね〜!笑
また、『映え』を共有したいという気持ちからインスタグラムを始めた時期でもあり、これがまた楽しかった〜!!
カメラロールに保存するだけではなく、同級生と、先輩と、そしてSNS上で知りあった方々と、『好き』を共有できることが嬉しくて楽しくて仕方がありませんでした。
写真を投稿する内に『写真の撮り方教えてほしいです!』と言って頂けることがあり、絵画以外の分野で評価して頂けたことに感動し、少し自信がつきました。
このように、高校生の思い出は、立体淡色絵画の基盤である『立体作品』『ファッション』『写真』の3つを確立した基礎が完成しためっちゃ大切な時代です!
しかし…。
進路選択の壁
こんなにも愛してやまないアートでしたが、高校3年生になるにつれて『進路選択』という壁が立ちはだかりました。
最初は美大やアートの専門専門学校を検討していましたが母子家庭という事もあり、絵画で食べていく難しさを学生ながらに感じていました。
悩みに悩んだ結果、女性でも自立した生活が送れる『看護師』という職業にたどりつきました。
一生物の資格である看護師ならば、自立して生活しながらアート制作を続けられると考えたからです。
母に相談したときは、まさかデザインから看護師へ方向転換するとは思ってもいなかったらしく、かなり驚かれました。担任の先生からは、『あんたほんまに本気なんか!?』と何度も心配されて大変でした!笑
そこから『絵画』ではなく『入試勉強』に時間を割く日々が始まりました。
看護専門学生時代は私の人生の中で最もアートと縁を切った時代になります。
まとめ
こんなにも絵画が大好きだったのに…。
アート命の私がアートに無縁の看護学生に!?へ続きます。
ほんなら今回はこのへんで!読んで下さってほんまにありがとう〜!